こども食堂は、こどもの居場所づくりのために2012年より東京都大田区の八百屋さんが始めた活動で今では全国に広まっています。
大阪府下では、約400箇所でこども食堂が実施されています。(令和元年6月現在)
ここでは、此花区で最初に立ち上がった”此花こども食堂“を紹介します。
2016年から活動を行っている此花こども食堂は、”こどもが一人で入れる地域の居場所”を目指し、毎月1回、四貫島連合集会所で子どもたちと一緒に晩ごはんを食べていました。コロナ禍でお休みしていた時期もありますが、2020年7月からは春日出地域にある喫茶店に場所を変え、お弁当や支援物資の持ち帰りのみ変更し、活動を続けています。
”此花こども食堂“を運営する「賑やかごはんの会」代表の角林さんは、ゲストハウスレインボーのオーナーである傍ら、四貫島小学校でいきいきの指導員の仕事や民生委員など、日ごろから地域の中で活動されています。
インタビュー風景
角林さんは、常々「子どものための活動をやっていきたいな~」と思っておられた時、偶然、テレビで子ども食堂のことを知りました。「これだ!」と思われた角林さんは、さっそく大阪市で活動している子ども食堂の見学に行くなど、勢いで活動を進めようとしていました。
民生委員の活動などで知り合っていた区役所の方から「勢いで始めるのは危険」と助言され、運営していく上でのアドバイスや助成金のことも教えてもらいました。そして、子ども食堂を一緒に運営してくれるボランティア仲間が集まり「賑やかごはんの会」を立ち上げ、”此花こども食堂“が始まりました。
2016年夏 プレオープンに訪問
賑やかごはんの会のメンバーは、角林さんの以前からのお友達や地域活動の仲間を中心に集まり、少しずつボランティアの輪を広げて来られました。角林さんのネットワークで若者から年配の方まで幅広い年代の方が集まっています。此花区にある昇陽高校の生徒がボランティアに来てくれていた時期もありました。角林さんは、日ごろから仲間たちとの「輪」を大切にしており、むやみにメンバーを広げることはせず、互いに気持ちよく活動できそうだと思える人に加わってもらうようにしています。
コロナ禍以前の此花こども食堂は、集会場の台所でボランティアの方が食事を作って、毎月約30名の子どもがこども食堂で一緒に晩ごはんを食べていました。参加する子どもたちは学校でもない家でもない環境にいつも以上に元気いっぱい!学習支援等も考えていましたが、落ち着いて勉強ができる環境ではなかったとのこと。
活動の方向性を検討していた頃、コロナ禍によって従来の活動ができなくなったことを良い切り替えと捉えました。お弁当は協力してくれるお店に作ってもらうことになったので、ボランティアの負担が少し減り、余裕ができたことで以前より今の方が必要とされているサポートができるようになったと仰っていました。
2021年6月のこども食堂
現在、お弁当は50~60食配布しています。コロナ以前よりも参加人数が増えたこともあり、コロナ禍が終わっても以前のように集会場で食べることは難しいだろうと考えておられます。今後は、現在のお弁当を配るスタイルでやっていきたいと角林さんは話しておられました。なによりも子どもたちと繋がった「ハシゴ」を外さないために角林さん自身や一緒に活動するボランティアの仲間たちが負担なく、長く活動できる方法を模索されている姿勢を感じました。